わたしに踏まれた星とわたしが踏まれた星

ホロスコープ1年生。名前は「蜷(にな)」です。

今夜、すべての神殿で

里中満智子さんのマンガ『ギリシア神話』をよく読んでいた。わたしが好きなのはアルテミスだった。ショートヘアで中性的、狩りの名人でありながら頭脳明晰。アポロンとの美貌の双生児っぷりにもうっとりした。だけど(だから?)オリオンとの恋愛にはがっかりした。

あんな直情径行のマッチョに惹かれなくたって……。ペルセウスみたいな、英雄でも影のあるイケメンならいいけど。

わたしの"推し"はヘルメスとデュオニュソスだった。なんだかんだでゼウスも憎めなかった。光源氏といい、ああいう永遠の末っ子、アイドルって嫌いになれない。閑話休題

わたしは自分自身の性的指向性自認で悩んだ記憶があまりない。おそらく「シス女性でヘテロ」だ。肉体的特徴に疑問を感じたことはなく(月経は面倒だった)、通い詰めるほど好きになるミュージシャンやコメディアンは男性ばかりだ。だけど、恋愛経験がほとんどない。もちろん、外見的な諸条件もあるだろうが、「相手が欲しい!」「愛されたい!」という内発的な動機も欠けていると言わなくてはいけない。

4ハウス、5ハウス、8ハウスに惑星が欠けていることは、以前の記事でも書いた。ただ、小惑星も含めると、ジュノー(乙女座・5ハウス)、ベスタ(射手座・8ハウス)が存在している。ジュノーは、ギリシア神話ではヘラ。結婚生活と家庭を司る神だ。それが、乙女座サイン。そしてベスタは、同じくかまどの神・ヘスティア。乙女座の支配星でもあり、禁欲・修養などをあらわす。よりによって「性愛」のハウスで。

乙女が、乙女が強いな!

ホロスコープが、これでもかこれでもかと畳みかけてくるようだ。そして太陽ー月のコンジャンクションが自己完結性を強調してしまっているのではないか。性指向はヘテロなんだろうな、と思いながら、もしも機会があったら同性を好きになることもありそうな気がする。人生で初めて告白を受けたのは、同性の友人からだった。

金星も太陽ー月と同じく水瓶座サインにある。ここでも自己矛盾がない。火星ー牡牛座、冥王星蠍座が引き起こしているだろう、恋愛へのあこがれ。それはさておき、地に足つけた現実生活の面では、パートナーや恋愛感情抜きでもやっていけてしまう。

わたしにももちろん欲望はある。たとえば、職場で能力を認められたいとか。同僚より仕事ができないと思われたくないとか。だけどこれらの欲望は「だせえ」。気にしているのは、周りよりも低く見られないこと。相手は特定の誰かではなく、匿名の人びとだ。ひいては、わたしの声を内面化したものだ。そこには他者との交歓も、衝突すらもない。

だれかを愛したとき、きっとその人は死後も生きる。それは、「記憶の中で生き続ける」とかいう生やさしいものではなく、忘れ去られたり、知り合いが一人もいなくなった後でさえ、死者は生きている。

わたしはそういう恋をしてみたいのだ。

さまよえる火星くん、そして太陽

火星くんについて、触れてこなかったことがある。実は火星くん、牡牛座のサインはあんまり気に入っていないらしい。火星ー牡牛座は「放浪」をあらわす座だそうな。火星くん、わたしのホロスコープ全体にこれだけ影響を及ぼしておきながら、実力を封じられていたとは。恐るべし、火星。

火星を火星たらしめるエネルギーは、牡牛座のサインと重なると、どこかのんびりおっとりとしたモードに変換されてしまうという。確かに、わたしのやる気は燃え上がっても長続きしない。モチベーションをあげることよりも、テンションを下げないこと。テンションが下がってしまっても、「このうんこみたいな仕事は、わたしがやらないと誰もやってくれないんだ……」(下品さには目をつむってほしい)と覚悟して、だらだらと少しずつでも手をつけること。

この「温度感の維持」というやり方こそが、「居心地よくねえけどがんばってやるか」というモードの火星くんを表しているのかもしれない。

むらっけのある火で調理をするのは難しい。生焼けだったり、焦げすぎたり、散々な思いをすることもたくさんある。だけど、「消えたかな?」と焚き火を覗き込んでみると、意外としぶとく種火が残っている。居心地の悪そうな火星くんを宥めすかしながら、わたしは今日も不恰好な料理を仕上げる。

一方、冥王星さんは蠍座のサインこそ「本来の座」らしい。……なんだかぞくぞくするような響きだ。とは言え、わたしは冥王星蠍座世代なので、おそらくあっちでもこっちでも冥王星さんはご機嫌うるわしく過ごしていらっしゃるのだろう。それはさておき。

惑星の品位という話題で、火星ー冥王星、そして太陽(こちらも「放浪」)の関係性に思い当たることがもうひとつ。病気のことだ。

わたしは小児アトピー、小児ぜんそく持ちで、子どもの頃は病院通いが日常だった。大人になってもしばらくの間、両手に謎の発疹が出たり、目の周りなどの皮膚の荒れに悩まされたりした。最近は、不思議とそれがない。

火星くんの攻撃性は、自己を防衛するためのものだと言う。これは、自他を超えて侵入する、冥王星さんの攻撃性とはまったく別のものだ。火星くんの働きは免疫力に他ならない。そしてわたしの、未熟な火星くんと太陽くんの組み合わせは、特に自我の未発達な幼少期にあっては暴走し、アレルギーという形であらわれたのだ、という解釈はどうだろうか。

牡牛座は、感覚器官だ。でも、口や喉は、異物と接する最前線でもある。すべてを排除してしまうと、生命力は喪われてしまう。火星くんは、牡牛座サインの下で分の悪い戦いを強いられている。時間をかけて、よく噛んで。吐き出すべきか、飲み込むべきかを吟味して。せっかくのスピードを活かしてあげられなくてごめんね。かれは、彷徨い出てしまいたい気持ちを持ったまま、四方八方に檄を飛ばす、とても優秀な司令官だ。

おうしに願いを

わたしは、恋愛経験はほとんどないくせに、根っからのおたく気質で、常に"推し"を追っかけているタイプだ。相手はミュージシャン、コメディアンとさまざまだが、ひとつだけ共通点がある。

牡牛座であること!

熱心にライブに通ったり、雑誌やDVDを買い揃えたり、聖地巡礼してみたり……と深追いしたくなる"推し"は、それほど多くない。わたしの人生における"最推し"3人が、なんと牡牛座なのである。わたしのホロスコープにおいては、火星(1ハウス・牡牛座)、木星(2ハウス・牡牛座)との関わりが深い。

わたしが牡牛座の人びとに共通して感じるのは、「自分自身を大切にすることに対して手を抜かない」ということである。

わたしの牡牛座の友人(女性)は、少しでも身体の不調があれば病院に通い、処方箋をきちんと使う。浪費家ではないが、価値があると思ったものには金銭を惜しまず、また手入れをしっかりするので物持ちがよい。新しいものに飛びつかず、試してみてよいと思ったものを長く使い続ける。モードを取り入れながらも、ファッション、メイクに人となりが表れていて、おしゃれだし、彼女にしっくりと来ている。

"推し"の一人にバナナマンの設楽さんがいるのだけれど、彼の「いいなあ」と思ったエピソードに、「古着を試着してから買う」というものがある。○○のブランドだから、とか、安いから、とかいう価値観で目がくもったりしない。だからこそ、たとえ既製服であったとしても、まるで特別にしつらえたように映えるのだ。彼ら・彼女らの手にかかれば、ありふれた毎日に魔法が起きる!(なんて、マクドナルドのCMじゃないんだけど)

わたしは結構、それが下手だ。ここ10年以上、眼科(コンタクトレンズ処方)と歯科(虫歯の治療)、整形外科(骨折)以外の病院にかかっていない。めったなことでは体調を崩さないという理由もあるが、「大したことではない」と判断する閾値が人よりも高い、つまり鈍いのだろう。

たとえば、ウォーキングやスクワットなど、自分自身に課したことをオートマティックにやり続けてしまう。雨が降ろうが、ワクチンの副反応で熱が出ようが、お構いなしだ。「しんどい」は甘えだ、と言う山羊座土星ディシプリンを、水瓶座天王星がミッションとすり替える、そんな共犯関係も成り立ってしまう。ルールには批判精神が湧くけれど、ミッションには弱いんだよなあ。

無理すること、我慢することが努力なのではない。本来の力を発揮できるよう、気持ちよくしておくことこそが、本当の意味での努力なのではないか。

わたしは、ホロスコープより先に、"推し"からそれを教わっていたのかもしれない。

月さん、君の名は

わたしの月は、太陽(11ハウス・水瓶座)とコンジャンクション。だからホロスコープ上、太陽のアスペクトとほぼ一緒になっていて、唯一の違いは、太陽のみ木星(2ハウス・牡牛座)とスクエアを形成していることくらいだろうか。あまりに太陽と結びついているので、かえって月の働きがわからない。

月さん、君の名は。

よく考えると、冥王星(7ハウス・蠍座)と火星(1ハウス・牡牛座)からスクエアでエネルギーを食らっている時点で、平気なはずはないと思うのだが、太陽隊長と一緒だから「海兵隊員は許可なく死ぬことを許されない!」なのか?

月の居所は蟹座だ。わたしの場合、そこには……キロン(3ハウス・蟹座)だ。ほらー!やっぱり傷ついてんじゃん!

3ハウスの象徴が兄弟姉妹であることに、思わずたじろいだ。妹には、負い目があった。わたしは大学進学時に実家を出た。もともと地元の大学に進学するつもりだったのを、遠方の大学へ進路変更したのは、担任の勧めによるものだったが、当時既に家にいることに苦痛を感じ始めていた。

わたしは長女であり、誰にもとめられることはなかった。まもなく弟も同様に遠方の大学に進学した。ただ、妹は、一旦は家を出たものの、諸事情があり、ふたたび故郷に戻らざるをえなかった。家族の成員が移り変わる中で、きっと彼女がコミュニケーションを潤滑に回す役割を担わざるをえなかった。わたしが逃げ出したさまざまな仕事を、やり遂げた。

父も母も年老いてゆく。心配ではあるが、自然の摂理だと思う。むしろ兄弟たちのことのほうが気にかかる。わたしの月、わたしのキロンは、ここにあるのだろう。

キロン(3ハウス・蟹座)は、土星天王星(9ハウス・山羊座)、そして海王星(10ハウス・山羊座)とオポジションの位置だ。……これだけでは終わらないぞ、という予感がする。とても騒がしいわたしのホロスコープの中で、吉角もコンジャンクションもなくぽつんと浮かんでいるのは、キロンだけだ。わたしがわたしのキロンをネグレクトしている。

きっとわたし自身もまだ認知していない、抑圧された影が、夕暮れの公園のブランコみたいに、ぼんやりと揺れている。ゆっくりと時間をかけて、わたし自身の月とキロンに向き合っていきたいと思う。

モテる?モテない?

太陽月金星が水瓶座の者です。人生、まったくモテた経験がありません。

星座占いでランキング形式になっているものは多いけれど、恋愛系はその中でもかなり順位にばらつきがある印象だ。

水瓶座が上位に食い込むこともある(もちろん下位に沈むこともある)。それにしても、モテない。

ただ、モテないことで悩んでいるか、と聞かれると「うーん」と困ってしまう。わたしの中の葛藤を、思いつく限り並べてみる。

・恋愛ができないのは、わたしに人から好かれにくい性質があるからだろうか。

・わたしの無意識下での抑圧があり、恋愛感情に蓋をしているのだろうか。

・わたしも現実にふれあうことのできる他者を思いっきり愛してみたい。愛するということを許されたい。

・わたしは、わたしをコントロールしようとしすぎるきらいがある。恋愛によって、自己を他人との間へ、あるいは未来へと投げ出し、自己変容を楽しみたい。

・愛されたいというより愛したい。けれども、愛されない理由があるならば認識しておきたい(克服できるにせよ、できないにせよ)

・恋愛とは自己変容の最たるものだと聞く。わたしも恋愛によって新しいわたしと出会ってみたい。

……書いていて悲しくなってくるくらい、自分のことしか語っていないな。そう、不安はないが、漠然とした不満があるのだ。

ホロスコープを見ていくと、4ハウス(家庭)、5ハウス(恋愛)には惑星がなく、7ハウス(パートナーシップ)が蠍座冥王星で、8ハウス(性)はまた空っぽに戻る。

ハウスに対応するサインとか惑星とかを読まずに、素直に見ると、恋愛や家庭、性というコミュニケーションの場をすっ飛ばして、一対一の没入的な関係性のみを欲しているのではないか。

漁業で、餌を撒いたり、網を張ったり、罠をしかけたりせず、海域の知識もなく、訓練もされていないのに、槍一本で海に飛び込もうとするようなものだ。それで魚が獲れるか?獲れないだろ。

蠍座冥王星のモチーフへの憧れも、こういった恋愛へのコンプレックスから来ている。自他の境目がなくなる、一体化としての愛。太陽月水瓶座のわたしは、他者の合理性を前提として生きている。多様性を尊重する、と言えば聞こえがいいが、踏み込まない代わりに踏み込ませない、観察者や研究者としての姿勢だ。

蠍座冥王星はまったく逆だ。人格の境界線を壊して侵入することを恐れず、同一化をめざす。世間のルール、倫理観からは外れるかもしれない。彼ら・彼女らはあたかも宗教家のようだ。

宗教家になるためには、ある種のブレイクスルーが必要なのだと、釈徹宗さんがおっしゃっている。そして世間とはまったく違う価値観を提示することこそが、宗教の存在する意味なのだと。

わたしは、蠍座の恋愛に宗教性を感じる。そして、それに到達することができなくて、壁の前で(つまりわたしの殻の中で)立ち竦んでいる、と言えるのかもしれない。

冥王星さんは、なびかない

火星くんと両翼を形成するのが、冥王星さん(7ハウス・蠍座)だ。わたしは、その底知れないイメージを前にすると、いつもうっとりしてしまう。

"偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情"とは、坂口安吾の『堕落論』の一節だけれど、まさに冥王星を彷彿とさせる表現ではないか。

冥王星(7ハウス・蠍座)は、太陽月(11ハウス・水瓶座)にスクエア。そして火星(1ハウス・牡牛座)にオポジションで強烈に対抗している。一方、ルーラーの土星(9ハウス・山羊座)とはトラインで、まるで土星さんの請願を受け入れてくれているようにも見える。

ただ、海王星(10ハウス・山羊座)ともトラインで、冥王星さんがいったいどんな夢を海王星さんに流し込んだいるのかが気になるところ……

わたしのサインは地・風に偏っており、水は蠍座(つまり冥王星)だけだ。地・風だけがあっても、生命は生まれない。冥王星さんは、わたしの惑星が偏っているホロスコープの中で、7ハウス・蠍座という孤高の位置で重々しくたたずんでいる。

地にいきものを満ち満ちさせる水のエネルギーとして。また、凍てつく氷から未知なる生命体を解き放ち、破滅を招来する災厄として。

さて、わたしの蠍座冥王星は7ハウスにある。ここから、つい冥王星さんに対して、地球外から来た恋人、怪物的な恋人のイメージを思い浮かべて、わたしはまたぽわーんとしてしまう。

土星のルールに縛られないものを持ち込むのが"恋人"というのもなかなか気が利いているじゃないか。蠍の毒が回ってもいいから、その恐るべき愛情に一度くらい抱かれてみたい。

火星くん、あばれる

わたしの火星くんは、なかなかにエネルギッシュだ。疲れを知らない野良犬のように暴れている。

まず、太陽・月(11ハウス・水瓶座)にスクエア。次いで、金星にスクエア(10ハウス・水瓶座)。何より忘れてはならないのは、冥王星(7ハウス・蠍座)とオポジションで差し向かう気迫だ。一方で、土星(9ハウス・山羊座)、天王星(9ハウス・山羊座)、海王星(10ハウス・山羊座)とはトラインで、度量の深さも見せている。

わたしのホロスコープには、実は火のサインがない。一番多いのが土(6)、次に風(3)、最後に水(1)という順番で、圧倒的に"火力"に欠けている。

こういう環境がかれを憤らせているのか、あるいは奮い立たせているのか、全方位にアスペクトを通じてエネルギーを放出している火星くんの姿は、とても頼もしい。

わたしがこうして一日2万歩を歩いたり、毎日スクワットをしたりしているのも、火星くんあってのことだろうと思う。火星(1ハウス・牡牛座)の自我の強さと持久力をひしひしと実感している。

ただ、やっぱり情動面に与える影響は少なくないだろう。時折、ざわざわと、毛が逆立つような怒りの感情に見舞われる。また、どうしようもなく落ち込み、もやもやとした黒い塊がみぞおちのあたりにこごっていることもある。

そういうとき、「なぜこういう気持ちになっているんだっけ?」をよく考える。落ち着いて捉え直してみれば、それは既に手を打ったのでわたしにはどうにもならないこと、また客観的な他者の声によれば些細な出来事でしかないことが多い。そして、不安はなくならないまでも、少し気分が上向きになる。

これはもしかしたら、土星さんを通じて、火星くんにコンタクトを取っているのかもしれない。

抑制しすぎてもいけない。わたしのホロスコープにない、火をもたらしてくれるかれを。荒れ狂う、山火事のような火を、可能であればそのうち一部を薪に移して、冬を乗り越える炭火にしていかなくてはいけない。

でも、全部がコントロールできてもおもしろくない。火星くんには、いつまでもわたしのホロスコープの上で暴れ回っていてほしいものだ。