わたしに踏まれた星とわたしが踏まれた星

ホロスコープ1年生。名前は「蜷(にな)」です。

冥王星よ聞こえるか?

昨日はライブだった。GWにフェスには行ったけど、単発のライブは久しぶり。この時勢なので押し合いへし合い、はないけれども、天井いっぱいまで観客の熱意が充満しているような、すばらしい公演だった。あるヒップホップユニットのステージを初めて観たんだけど、ホロスコープとの関係でとても興味深かった。

"冥王星よ聞こえるか?

地球、日本から話しかけてる

そこに辿り着いた俺の言葉は満足そうな顔をしていたかい?

腰掛けて、荷物を下ろしていたかい?

それとも横目でチラっと冥王星を見ながら

またあの呪われた前向きな呪文を唱え、遠ざかっていたかい?"

ill-Beatnik,THA BLUE HERB

「あの呪われた前向きな呪文」とは、曲中で何度も繰り返される「先は長い、深い、言葉にならないくらい」というフレーズのことを指す。呼びかける相手が冥王星、というところにキュンとなった。地球から48億キロメートルも離れた星。12星座をめぐるにも248年かかる。距離が非常に遠いため、肉眼で見つけることはできない。言葉が一人ひとりの心の中に届くことと、冥王星に到達することとが、同じ地平で語られていることが美しい。

"一つぶの砂に 一つの世界を見

一輪の野の花に 一つの天国を見 

てのひらに無限を乗せ

一時(ひととき)のうちに永遠を感じる"

無垢の予兆、ウィリアム・ブレイク

100年余の人生、そして45分のステージを、冥王星やそして太陽系すら超えた遥か彼方と比較し得ること。これは言葉の上のみで可能なことだ。肉体の滅びの後に現れる理解者を待てない、と正直な不安を吐露しながら、永遠の側に、ガラス瓶に詰めた手紙を押しやり続ける。これほど誠実な営みがあるだろうか。

そして、冥王星。ここで太陽や月や他の天体ではなく、冥王星を選んだのは、やはり冥府の王というイメージを引いているんだろう。破壊と再生。わたしたち人間が見ることも、もしかしたら自覚することも叶わないが、占星術ではまさに「王」にふさわしい特別な位置を与えられている。

また、冥王星は、48億キロメートル先の太陽系外縁にある、という理解にとどまらない。冥王星の碇は、心の奥深くにまで降ろされている。自我の仮面の下に潜む暗い衝動。大脳辺縁系は、わたしたちの心の中にある異邦、辺境、無政府地帯だ。わたしたちはこれを古代から継承し、また次世代へと脈々と引き継いでいく。もはや言葉は言葉ではなく、「呪文」のような意味不明な音の羅列となり果て、けれどもだれかが唱えることによって息を吹き返し、命は繰り返し蘇り続けるのだろう。

霊感としばしば結びつけられる海王星ではなく、あえて冥王星を選んだのは、ヒップホップの権力への反抗性という性格から「パワー」を司るこの星を意識せざるを得なかったのか。冥王星、という重々しい言葉も飲み下して自分の言葉としてしまう、逞しさと貪欲さを感じられたアクトだった。とてもよかった。

何を観に行ったかと言われるとenvyだったわけですが。エヘッ!とはいえ、こういう未知の出逢いがあるから、ライブはおもしろいよね。