フランケンシュタインの時代

リズ・グリーンは『占星学』において、エレメントの説明の章を、風→水→地→火という順番で語っていく。ちょっと面食らうのではなかろうか。占い本やインターネット記事においても、火→地→風→水とか、火→地→水→風とか、筆頭に火のサインが来る場合が多い。もちろん、牡羊座が一番目のサインだからだ。授業中、予想していなかった順番で指名された生徒のように、わたしは戸惑う。そして、その戸惑いにふさわしく、「先生」の指摘は辛辣で、風の星座にとっては突かれたくなかった(もしくは突かれることを予期していなかった)弱点を的確に開示してみせる。

"感情の世界をわかろうともせず、他の人々と感情レベルでつながりをもつ能力を開発しなければ、感情という価値については盲目のままで、無意識に多くの残酷さを生むことになる。"

"現在、科学は思考機能を基礎としているが、感情面から見た現実と心の知恵が欠如した知識は不完全なだけでなく非常に危険なものだという事実に気づかないままでいると、その発見の成果を大量破壊に使ってしまうという恒久的な危険を犯すことになる。"p.116-117

さ、刺さる〜!

風サインの星座に、「相手に論理的に言い返してしまって怒らせてしまうことはありませんか」とか「情緒にとらわれないため、一見冷たい人と思われます」とかの、やさしげなアドバイス(本来は皮肉も含まれているかもしれないが、けして気づかれない)では、彼・彼女らは「そうそう、みんなが感情的になっている中で空気を読めないんだよね。よく変わってると言われるよ」などとという、自己愛に満ちた反駁を導き出すだけだ。「感情」によって正当性が揺るがされることはないと深く信じている。これは、現代社会の振る舞い方と同じだ。今現在、「風の時代」がもてはやされているが、近代以降の社会はまさに「風」が支配してきたのだ。

人間は、客観性、論理一貫性、そして効率性を是とし、科学技術や経済を発展させてきた。「情緒」は一段劣ったものと見られる一方で、「接待」「アテンド」「ロジ」というコミュニケーションに関する形骸化したルールは残った。社会において、「感情」は条件付きで認められた。けして「感情」自体がこの世から消失したわけではないにも関わらず、だ。

だからこそ、リズ・グリーンは、まず風のエレメントを俎上に乗せたのだ。現代社会を深く支配することとなってしまった価値観を、相対化するため。それがもたらした、あるいはこれからもたらすであろう災難をあらかじめ避けるため。ホロスコープでは、ヤングの提唱した「シャドウ」の考え方に重きを置く。対称的なエレメントの要素は、わたしたちがもっとも直視できず、無意識化しているが、わたしたちにもたらすインパクトは自我への信念を揺るがされるほど甚大で、しかも「外部からやってきたもの」のように捉えられる。「情緒」を認められない限り、わたしたちは他者に投影してそれを引き寄せることになる。

感情労働を他者に押しつける、ということもそうだし(わたしたちは概ね機嫌を取ってもらっているが、それに気づかないことが多い)、感情面の拗れを原因としたトラブルを自ら招きやすくなる。しかし、当人は被害者ではなく、関係性をつぶさに見ていくと、むしろ加害者であったことも稀ではない。「シャドウ」は突如として嵐を巻き起こすもののように思われるが、ある意味では折り目正しく、自動的に出現する。わたし自身の中にそれを定期的に解消しなくてはならない仕組みがあるからだ。

フランケンシュタイン博士は、「怪物」をつくった科学者だ。彼は裕福で堅実な両親から愛され、自然に親しむ心優しい恋人と、騎士道に燃える友人とに恵まれた。だが、フランケンシュタインは、その優れた知性を自然科学の探究に生かす一方で、文学や倫理などには関心を示さなかったという。彼は「怪物」を作り出してしまったが、更に悪いことに、それを受け入れることができずに逃げ出し、やがてそれによって大切な家族と恋人、そして自分自身の居場所すらも奪われることになった。

「風の時代」の寓話だ、とわたしは思う。

砂の惑星

ホロスコープでは、よく矛盾した表現があらわれる。冥王星が月にハードアスペクトを取るとき、月の日常的な生命力・気力の蓄積に、穴を空けてしまう可能性があるという。また、火星が月にハードアスペクトを形作ると、火星が活力や気力を保存する心の器を突き破ってしまうおそれがあるとか。

いや、どっち!

底抜けなのか、決壊なのか、もうわたしの月はやぶれかぶれである。まあ、ほどほどに抜かれ、ほどほどに注がれて、なんとなく一定の水位を保っているのかもしれない。

ものの本によると、シングルトンやノーアスペクトのほうが天体の特徴がより際立つケースもあるという。とすれば、すべての天体(小惑星除く)がなんらかのアスペクトを取っているわたしは、結果的にほどよく毒を抜かれ、際立った部分もなければ波風が立つこともなく、およそ小市民的な人生を送ることに照準が定まったのかもしれない。

「astro -seek」での支配エレメントの計算では、地55%、風29%、火11%、水3%。火は、同じく1ヶ所しかないものの、アセンダント牡羊座で点数を稼ぎ、冥王星蠍座のみの水サインのほうが劣勢だ。自分で言うのもなんだが、「うるおってる感」とか「みずみずしさ」とかに欠けているのはこのせいだろうか。水のエレメントで言われがちな「官能性」は言い換えると「感応性」だろう。感じて、反応していく。

ところで、わたしの蠍座16度のサビアンシンボルは、"A girl's face breaking into a smile."、「いきなり笑い出す少女の顔」「突然笑顔になる少女」などの訳し方があるが、相好を崩す、破顔一笑といったイメージだろうか。正直、わたしは蠍座冥王星に、ファムファタル的な魔性の女という妄想を重ねてうっとりしていたので、突然あらわれた「少女」というモチーフに少し驚いた。

一つ前に戻り、蠍座15度、つまりサインのピークを表すシンボルは「5つの砂山のまわりで遊ぶ子どもたち」。支配欲、支配力がもっとも生き生きと表現されるのは、それが本人にとっても非意図的で、周囲からも自然に受け入れられるとき。おもしろいなあ。彼らの砂場を突如として訪れた少女は、それを「笑う」。smileだから、声をあげずにニッコリと笑っただろうし、いきなり遊びを邪魔されたことに彼らは戸惑ったかもしれない。

蠍座の「支配力」は原始的な遊びの中で構築され、また自らそれを突き崩す。 水のエレメントの遊びといえば、ミミクリ(真似・模倣を伴う遊び)だろうか。山を、模倣する。他のこどもの山の作り方を、真似する。

蠍座サインでの関係性は、あくまで「わたしとあなた」であり、山羊座のような組織化以前の「個人」が立ち昇ってくる。だから、感情は最大のコミュニケーションツールであり、武器であり、脅威だ。感情は支配されることや制度化されることを望んでいない。

「私には常に一対一で向き合う対象が必要なの。でないと自分てものがわかんなくなってくるのよ」『恋愛的瞬間』

さて、わたしのホロスコープで、月のシンボルは「トンネルに入る列車」である。水瓶座のエネルギーがほぼ最高潮に達し、圧倒的なスピード感・効率性をもって目的に向かって駆動していく。ただ、侵入する先はトンネルだ。やがて水瓶座におとずれるのがただ一人、孤独で、荒野をゆく道のりであることが示唆されている。そんな月を、まるで蠍座は笑うように突き飛ばしてくる。スクエアのアスペクトは、交通事故のように思いがけぬ方向からアタックされることを意味しているらしい。あるいは送電線を勝手に切ってしまう。

エネルギー源が絶たれたときに、わたしの月は茫然と、自分自身を見つめ直すことになるのかもしれない。それからやっと、他者の瞳と出逢うことができるだろう。

所有するために生まれてきたの

(追記)一度投稿したものの、わたしの火星=2室にあるという誤解を前提として、妄想を繰り広げております。本当は、以前の記事にもあるように、1室です。ああ、恥ずかしい。でも書いていることは嘘ではないので、「よく読み返してから投稿しろよ」という自戒も込めて、このままにしておきます。(追記終わり)

アセンダントのルーラーが位置するハウスは「あなたがなにを目的として生まれてきたのか」をあらわすらしい。わたしの場合、2室。「所有するために生まれてきたの」だ。『西洋占星術』(松村潔)ではもっと露骨に、「2ハウスは自己保存衝動であり、自分を物質的に豊かにすることで守り、人に分け与えることはありません。この人は(中略)現世でたくさんお金をもうけて豊かに生きることを目的に生まれてきたわけです」なんて書かれている。身も蓋もなくて笑ってしまう。

わたしも水瓶座の端くれなんだから、もっと精神性のこう、高みを目指すような……。いやわかってる。お金はもうけていない(むしろ出ていくばかりだ)にせよ、所有するのが大好き、所有マニアだということは否定できない。それがモノでも、情報でも。持って帰るという行為が好きだ。わたしの部屋に、わたしがまだ読んでいない本があること自体がにやにやするほどうれしい。本には本固有の領土がある。わたしの王国に、ぽっと火が点るようにして辺境が生まれる。

いくらかAmazon Kindleで購入した本もあるが、やはり紙のほうがいい。それは、別にわたしが装丁や紙質にこだわるタイプだからではなく(稀覯本や革綴じに関心があるほうではない。このへんは身体感覚、美的共感の鈍さがあらわれている)、文章の「アドレス」を覚えやすいからだ。あのフレーズは、分量にしてあの本の真ん中らへん、左上あたりに書かれていたような気がする、であるとか。両手で持っている紙の厚さ、目の位置、そういうものを手がかりにして探すことが多いので、電子書籍だと情報量が少なすぎるのだ。

記憶力はけしてよいほうではない。だけど、お気に入りの文章は飽きずに何度も反芻するほうだ。貪食のよろこび。「繰り返すとよろこぶ細胞」(青木陵子)というドローイング作品を見たとき、作品よりもむしろこのタイトルのほうが印象に残った。繰り返しは、うれしい。

単純な反復は、どこか不吉なイメージもはらんでいる。「空洞です」で通底音のように繰り返されるギターフレーズ。落ち続ける点滴。"たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔"。「オスティナート」という言葉を見つけた。執拗に繰り返されるリズムパターン、和声、音程。繰り返しは、繰り返しの中に生命を見つける。わたしはわたしの中に、思いのままにならない領域があることを知る。反復は、いつの間にかわたし自身を這い出て、不気味に振る舞うようになる。清潔強迫、ある種の摂食障害。わたしたちは不条理で困難な社会に対応するために、一定の規則を持ち込み、了解可能となるように制度化する。けれども、その新たな制度がまるで産み落とした赤子のように勝手に動き出し、わたしを乗り越え、わたしに命令するようになる。

わたしの本たちは、わたしが所有しているのだろうか。本を読むと、本が欲しくなる。週末に図書館に行く、パターン。本屋を見つけると入ってしまい、一冊くらいは買ってしまう、パターン。部屋は本を胚胎する。本は部屋で繁殖している。ときどき、本当にいつ買ったか覚えていない本が見つかることがある。それはまるで地球に落っこちてきたエイリアンみたいで、やっぱりわたしには、かわいい。

目覚める前に 眠り入れ

睡眠時間は短いほうだ。というか、早起きが習い性だ。ASC牡羊座のなせるわざなのか、平日では5時、休日では4時半に起き出してごそごそと支度をし、外へと出ていく。裁量労働制なので何時から出勤してもよい(たぶん6時半くらいには開いているのだろう。確かめたことはないけれど)。朝は静かで、誰かが話しかけてくることもなく、目の前の仕事に没頭できる。

"ーーそれは早朝の数時間という、いわば一日のうちでいちばん「非社会的」な時間に、孤独にこもった状態で書かれている"

ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(伊藤亜紗

早朝を「非社会的な時間」と述べているところがとてもいい。「早起き」はまるで小学生の標語か、老人のラジオ体操のための言葉となり、健康健全の代名詞とされるが、わたしが実感するところでは、コミュニケーションを避けたい人間の最後のよりどころだ。(ほとんど)誰もいないオフィスに入る。誰の目線も集まらない。挨拶もしなくていい。黙ってかばんをおろし、パソコンをつける。しばらくすると、徐々に同僚が出社し始める。おうむ返しのように自動的に挨拶をかわせばよい。

思えば、小学生のころから、「たくさんの人がいる教室に入る」というのが苦手だった。できれば一番早く席に着いて本でも読んでいたい。出来上がっている輪の中に自然に入る、ということがどうしてもうまくできなかった。真っ先に部屋に飛び込み、居場所をこしらえたら、やがて訪れる喧騒はわたしの味方になる。

結果的に睡眠を軽んじている。天王星は「覚醒」の星だ。その作用は電気にたとえられる。中枢神経系の喜び。肉体から独立した、大脳の幸福。前夜祭的なパワーに突き動かされるまま、「次は何?」「次は何?」「次は何を?」と先へ先へ急き立てられる。不動宮×活動宮の組み合わせの厄介なところで、駆動し始めるとコントロールが利かない。エンストするか、壁に激突してとまるか、そのどちらかだ。

海王星はきっと言う、「目覚める前に眠り入れ」と。眠りの力は、化学反応というよりも醸造だ。わたしはほかのいきものと一緒に、猥雑で混沌としたプールに注ぎ込まれ、攪拌され、いのちのカクテルに成り果てる。「次」も「先」もない。急ごうにも方向性がない。わたしは酩酊して、崖下に墜落する。暗転。

昼寝をすると夜眠れなくなる、という人もいるが、わたしは何時間寝ようと夜はしっかり睡眠をとることができる。寝つきもよい。「いきなりしゃべらなくなったから、どうしたのかと思った」と言われる。自動的。5時間以下の睡眠のときには夢をみない(覚えていないだけかもしれない)。長くなればなるほど、悪夢に見舞われる。夢の中さえ、遅刻をおそれている。道迷い、寝坊(寝坊する夢というのもおかしな話だ)、乗り間違い、あるいはもっと抽象的なものになると、"急いでいるはずなのにノロノロとしか進めない"

わたしには「遅れをとる」ことへの恐れ、そして反転して強い関心がある。行き過ぎて「フライング」してしまうのは、背中を脅かされたくないからだ。弱いものの本能なのかもしれない。競争力のない個体ほど他者に先駆けて安全を確保し、また危険を予期すれば、すばやく移動していかなくてはいけない。元いた場所に帰ることはできない。生々しいリアリティとしては流離の日々であり、「行きて帰りし物語」ではない。

夜では「多すぎる」。夜には夜の社会があり、ルールがあり、他者がある。早朝がよい。日差しも適度にやわらかく、しばし夜の汚雑を駅舎の柱などに見かけることはあっても、人影はない。社会の存在しない時間は、やさしい。

だけどきっと、夜を恐れるあまりに夢をおそれてはならない。居所を転々とする中で、唯一わたし自身のアドレスとなってくれるのは、夢の中にほかならない。NHKチェコ特集で、インタビューされた男性が答えていた。「われわれは何百年も他国に支配されてきたので、心の中に亡命するしかなかった。チェコ人は皆心の中に宇宙がある」。

わたしはわたしの宇宙で安心して眠れるだろうか。

天王星くんとの距離感

天王星くん、水瓶座の支配星。なんだけど、わたしはまだ土星さんのほうに親しみを覚える。天王星くんは自由と革命の星。発明や独創性を司り、個性的で独立心の強い気質を生む。もう文句のつけようもなくかっこいいんだけどさあ、なんていうの?人間味?それが欲しいっていうか(トランスサタニアンに言うべきセリフではない)

でもこないだリズ・グリーンの著書を読んでいたとき、「土星(クロノス)が天王星(ウラヌス)を去勢した」と書かれていて、雷に打たれたような衝撃を受けた。ウラヌスが「異状」の息子たちを冥界の牢獄に閉じ込め、その妻ガイアが怒り、末っ子クロノスを使ってウラヌスを去勢させる。こう考えると、革命・公正性のイメージは、むしろ土星に与えられるべきものなのでは、とすら考えてしまう。

しかしながら、ギリシア神話がおもしろいのは、「歴史は繰り返す」という点。クロノスもまた、ウラヌス去勢の際にガイアが身籠った「異状」の者たちを幽閉し、ゼウスに殺される運命となる。秩序を壊し、秩序をつくり、秩序と共に滅びてゆく。土星天王星は交互に入れ替え可能だろうか。実は、少しずつ違っている点もある。

ウラヌスは単為生殖で生まれ、クロノスは有性生殖で生まれた。そしてウラヌスは去勢されたが、クロノスは(口から)我が子を生み、去勢はされなかった。また、預言をおそれ、石を飲み込み、岩をもって殺された。

反復だが、完全なるコピーではない。変化は不可逆的だ。クロノスが「預言をおそれる」ことから伺える言語の領域の拡張は、完全に土星的なものだと言えるだろう。でも、本来であれば天王星土星の順番のはずなのに、(発見された順番で命名されるから仕方がないけれど)天王星が革命的、土星が封建的なイメージになっているのはおもしろいな。だけど現代から見ると、古代のほうがあらゆる意味で「新しい」ことはある。たとえば、単為生殖。我々の祖先は単為生殖で増えた。そして現代、再生医療研究の進歩によって再び可能となるかもしれない。天王星による「革命」。

去勢が(ゼウスを父とした場合)曽祖父の代でしか起こらないのは、それだけ恐怖の対象であり、タブー視されているということでもあるんだろうか。祖父の代では、記憶として新しすぎる。また、クロノス→ゼウスの代替わりでそれを繰り返すと、"いずれ我々も去勢されうる"との意識が強まるだろう。わたしたちが恐れるのは「預言」よりも法則性、すなわち「科学」だ。

そういえば、クロノスによって断たれたウラヌスの局部がアフロディーテ(金星)になる、というのも、「奇貨」という感じがするね。悪趣味な例え方をすれば、土星さんと天王星くんによる初めての共同作業。美しいものは、もっとも新しい者の手により、もっとも古い者の一部から生まれる。別の言い方をすると、土星さんが産婆、天王星くんが妊婦か。クロノスが口から子どもを産むのもさまざまな連想を許してくれそう。口の中で子育てするカエルがいなかったっけ?それはさておき。

考えれば考えるほど、土星=古い、天王星=新しい、では割り切れなくなってきた。そもそもどんなルールでも陳腐化し、すべての権力は腐敗する。山羊座は前身の社会のルール、組織を壊し、また新たなものを作り出し、維持する。水瓶座の振る舞い方も同様で、対象が倫理、科学、美学などであるだけだ。

ルールは、意識されていないときがもっともよく働いている。でも、古代の人びとはあえてそこに土星を割り振った。それは、「わたしたちが今支配されているルールに気がつけよ」ということなのかもしれない。考えることを可能にするフックとしてあらかじめ用意されている。歴史上、「誰が言ったか」はわからないけれど、こういう思考の枠組みを作り出してきた匿名の人びとこそが、本当の意味で革命的なんじゃないか、なんてことを思ってしまうのだ。

キロンちゃん、あるいはケイロン師

蟹座、3ハウス、キロンちゃん。

ここの解釈がとても難しくて、対面診断とかワークショップとかに参加して他人の意見を聞いてみたいな〜と感じるところ。このメモでも最終的な結論は出ない。土星オポジションによる抑制が効いているのはもちろん、海王星オポジションによる脱構造化、非論理化も影響しているのかもしれない。水瓶座山羊座サイン強めの人間にとって、海王星で融かされちゃうとマジわけわかんないエリアになる。とりあえず、現時点のうろうろとした歩みを書き留めるものとして。

初等教育での傷。自分の知性や考え方に対する不信感。部分的には当たっている。親しくない他者に対して、意見を表明することをためらう。間違っていたら?わたしが常識を知らないだけ?頭が悪いと思われたらどうしよう?これらの葛藤が口をつぐませ、「まあいいか、わたしだけがわかっていれば」にたどり着く。

でも「わたしだけがわかっていれば」に現れているように、意外と自分自身の中では確固たる考え方になっていることも多いのだ。あとで、他者の会話を盗み聞いて、「よしよし、やっぱり間違っていなかったな」と答え合わせをして、自己満足している。

初等教育での傷のほうが難問だ。いわゆる幼児教育の教室に通っていたことくらいだろうか。このため、学習的には「早熟」だった。一方、現在に輪をかけたような人見知りで、仲の良い子が誘ってくれるまでロッカーの前で膝を抱えて待っている、という根暗な幼年時代を過ごした。小学校低学年の頃は、休み時間に、同じ学校に通っていた1学年上の従姉妹によく遊んでもらっていた。

優等生だが人見知りの強い少女。でも身内に対しては負けず嫌いと自己中心性を発揮する、典型的な内弁慶タイプだった。長女だが、父も母も「お姉ちゃんでしょ」と育てるタイプではなかった。隣近所のコミュニティーの中でも最年長であり、数年長く生きているがゆえの知恵で年下の子どもたちを従えて、権力を掌中におさめていた。「長女は責任感が強くて〜」という言葉を聞くと、ちょっとだけ耳が痛い。妙な責任意識はそれでも勝手に育つものだが、少なくともこれを「抑圧」とか言うと、妹から白い目で見られそうだ。

蟹座、家族のイメージ。父からの虐待があったわけでも、母からの教育や、独立への強いプレッシャーがあったわけでもない。これからの介護という問題はあるだろう。でもそれは生育時のトラウマではなく、キロンの表象とは少しずれる気もする。

蟹座、2度のサビアンシンボルは、"広く平らな場所の上に吊るされた男"。タロットカードだとハングマンだ。人生の挫折と失敗。そこから欲や執着を手放し、幸福な自己犠牲の精神に至る。うーんうーん。とんちが出ないな……(デイリーポータルでよく見る表現。好き)

3室なのが解釈をさらに困難にしてるんだよなー。6室の健康問題なら、ダイエットやセルフネグレクトのことを指すとも考えられるし、8室なら無意識下のセックスへのコンプレックスがあると推測することも可能になるかもしれない。だけど、3室はいずれとも遠い。

泣いているキロンちゃん、赤ん坊キロンちゃん。そんなイメージをSNSでもよく見かけるから引っ張られていたけれど、そもそもの神話に立ち戻って、半人半馬の医師・教師として見るべきなのかもしれない。好色、粗野、粗暴とされる素因を受け継ぎながらも、賢者のごとく振る舞い、また尊敬され、しかしながらまるで自ら暴力を引き寄せるように斃れ、「聖性」である不老不死性を手放さなくてはいけなかった。だが、かえってその英雄的な行為が讃えられ、星座となった。両義性の中で、宙吊りにされているアイデンティティー。まるで神を求めながら神の愛にふさわしくないと葛藤し、救いから逃げるような態度。うーん、惹かれてしまうんだよなー。

ここまで考えていくと、「吊るされた男」のイメージと重なる。自らの罪(もしかしたら彼が為した罪ではないかもしれない。けれど彼が「負うべき」罪だ)ゆえに宙吊りにされ、処刑されるまでの、一時の間。羞恥や悔悟があっても、覆い隠したり、逃げ出したりすることもかなわない。運命に身を委ねるしかないと決心したとき、彼は「心の中で」解放される。

そういえば、萩尾望都さんが書かれていたと思うんだけど、「人との距離感が取れない。近づきすぎては拒絶されて傷つき、離れすぎては孤独感でつらくなる。永遠に満たされないものがあった」といった言葉。だけど人を求めずにはいられない、そういう感情がわたしの中にもあるのではないかと。

今日の考察はこれくらい。気になるテーマなので、またいつか掘り下げたい。

Get Wild and Tough

天体、小惑星、点星点……とにかく総当たり戦で、タイトなアスペクトをピックアップしてみた。アスペクトはメジャー(0°、60°、90°、120°、180°)のみ。結果は以下の通り。いずれもASTRO DIENSTの計算上は誤差0°となっている。

①火星(1ハウス・牡牛座)ー土星(9ハウス・山羊座)、トライン

ここがトラインだと、かなり土星さんによる自制心の手綱が効いていそう。コントロール下で用いられる火、ガスコンロみたいな。大学で「わたし、ひとつの研究に没頭するの向いていないな」と気付かされたのがコンプレックスだったんだけど、当時もあれこれ講義を取って調べ物するのは苦じゃなかったし、未だに図書館とか古書店とかは好きなんだよね。

気が散りやすい、注意力散漫、というのはASC牡羊座の影響もあるんだろうか。火星が支配するサインでもあるから、火星ー土星トラインで傾向が強まるのかも。

あとは単純に、1ハウス・火星の特徴を効果的に発揮させているのかな。例えば、タフさとか。先日記事に書いたように、仕事上のトラブルがあった時期、生活面はだいぶ荒れていたけれど、結局のところ肉体的にも精神的にも持ち堪えられてしまった(会社は一日も休まなかったし、健康診断でも問題がなかった)。ここ15年、虫歯と外傷以外で病院に通っていない。謎のタフネスの原因はこれか。

②月(11ハウス・水瓶座)ーベスタ(8ハウス・射手座)、セクスタイル

聖なる火の女神、ヘスティア。かまどの守護神でもあり、職務への奉仕心や処女性をあらわす。理想主義を掲げる射手座女子(ベスタ)と水瓶座女子(月)で気が合いそうなイメージはあるけど、もはや全寮制女子校なのよ。奉仕の対象が神様なのよ。

③太陽(11ハウス・水瓶座)ーASC(牡羊座)、セクスタイル

「目的意識がはっきりしている」なんて大それたことは思わないし、常に意志も意図もぶれぶれだけど、「結局わたしの好きになるものは共通しているな」という漠然とした感覚はあるな。それが所与のもの、と考えると、太陽とASCとの協調関係があることに納得できるかもしれない。こうして見ていくと、ASC牡羊座の存在感は意外と大きいんだろうか。火の星座がいないと考えてきたけれど、牡羊座、そして1ハウス・火星が要所要所で効いている人生。

エリス(牡羊座・1ハウス)もASC牡羊座と1°でタイトなコンジャンクション。まあ、この世に生きている皆さんがエリスを牡羊座サインに持っているようだけど、わたしはASC牡羊座なのでちょっと意味を足すことを許してほしい。火星(アレス)の妹、エリス。表面的には見えないだけで、わたしのホロスコープ、だいぶ火のエネルギー充填されているのでは?

④火星(1ハウス・牡牛座)ーMC(山羊座)、トライン

火星の活力を利用して目標を達成していく、とも、戦いを通じて目標に到達する、とも読める。トラインなので、ごく自然に"闘争"に突入するのかもしれない。だけど実は、それほど心配していない。実は、MCには、火星よりはゆるめだが冥王星(7室・蠍座)もセクスタイルアスペクトを取っているんだよね。火星くんと冥王星さんが手を組んだら最強でしょ。

MCを経て、太陽ー月の11ハウスに突入、そしてドラゴンヘッド(11室・魚座)へと向かっていく。MCはその過程のアベンジャーズみたいなものだ。一時的に敵味方で手を組む。これほどアツい展開があるだろうか(わたしはこういうのが大好きだ)。再び太陽ー月の世界に戻ってくると、そのときは孤独だ。たった一人の存在に戻ったヒーローのようだ。あくまでも自分だけの力で、自分が救うべき人びとのため戦わなくてはいけない。でも、あのとき力を貸してくれた火星くんと冥王星さんのことを忘れないし、きっとそれの前と後とではまったく違う自分になっているのだろう。

とりあえずタフネスだけが取り柄の、頼りない主人公だけれども。