わたしに踏まれた星とわたしが踏まれた星

ホロスコープ1年生。名前は「蜷(にな)」です。

数字にまつわるエトセトラ

わたしの好きな数字は「2」だ。2月生まれなので、「2」には勝手に親しみを感じている。また、「2」は書いても楽しい。平仮名の「ゆ」と同じく、きゅっと曲がるところと、丸く円を描くところ、リズミカルな緩急があって素敵だ。ところで、わたしの数秘術上の運命数は「8」らしい。「8」もなかなかいい。「2」の3乗、シンプルだが世界を描く最小単位というふうにも見える。そしてロックンロールはエイトビートだ!

というわけで、「8」角形の内角、135°の関係性をホロスコープ上に探していきたい。セスキコードレイト。45°(セミスクエア)と90°(スクエア)を合成した意味合いとされるアスペクトだ。調べてみても、あまり断定的な解釈は示されておらず、「弱い困難と緊張」とか「せずにおれない、という意味で病的な勢い」とか「禁止」とか、影響力の度合いの判定もさまざまだ。たぶん、ホロスコープを読み始めたばかりのわたしには荷が重いのだろうけれど、いつものように楽しく妄想を羽ばたかせることにしよう。

アスペクトの許容範囲は1°以下で、個人天体、ASC、MCだけチェックしてみる(マイナーアスペクトであまり手を広げすぎると、情報の取捨選択ができなくなる気がするので)。わたしの場合、木星(2ハウス・牡牛座)と海王星・MC(10ハウス・山羊座)がこれに該当する。木星は、ハードアスペクトでも「拡大」の意味は変わらないらしいので、セスキコードレイトでも同じく、「制限」は読まなくていいかもしれない。

牡牛座を身体性と捉えると、社会的な成功を目指すとき、身体感覚が狂いやすいということだろうか。例えば、仕事上のストレスから肥満になりがちであるとか。木星の際限のない膨張性がもっとも病的にあらわれるとすれば、肉体だろう。もしくは所有、財産のバランスを欠く暗示。妙な財テクに嵌まり込んで小金を失う、依存症にはならないまでもギャンブル行為に耽るなど。135°なので「激しい葛藤」ではなく「我慢できないほどではない煩わしさ」なのがポイント。

試練ではなく、ちょっとしたつまずき。急な坂道ではなく、十分に修繕されていない道路。注意していれば転ばないんだけど、よそ見をしていると足を取られる僅かな段差。もしかしたら大抵の挫折の原因は、こういう種類の困難なのかもしれない。そしてやり遂げられないことへの不満、で思い出したのが、こちらのブログだ。

https://licomama-kosodate.com/entry-11963547974

「子育ては自分の意思とは無関係に自分のやろうとしていたこと・したかった行動を子どもに遮られることの連続です。」

これこそが、セスキコードレイトのアスペクトをもっともよく表現している言葉なのではないか(全然ホロスコープの文脈ではなく、とても真面目な育児論なのだけれど)。達成感を得られない、ということがどれだけ人間にストレスを与えるかを、これほど明確に言語化できた人をわたしは他に知らない。

それは、徒労に終わるかもしれない。周りからも危機とは見られない。けれども確実に心と身体を消耗させ、時には回復不能なまでの抑鬱状態に追い込んでしまう。だから、もしかしたら、セスキコードレイトからはときどき逃亡を図るくらいがちょうどいいのかもしれない。うまく行ったと手応えを感じられる場所。やりたいことを表現して褒められる時間。小さく、短いテンポで充足感を得られることが必要だ。わたしたちはつい、苦労こそが努力なのだと考えたくなるが、障害を避ける工夫もまた努力なのだと信じたい。

それにしてもわたしの木星、MCにはセスキコードレイト、太陽にスクエアと、幸運の星のはずなのにむしろ土星以上の試練を与えてきているように思えてならない。こういう発想自体、個人天体のうち3つが水瓶座、1つが山羊座という、土星人間ゆえのものなんだろうか……