所有するために生まれてきたの
(追記)一度投稿したものの、わたしの火星=2室にあるという誤解を前提として、妄想を繰り広げております。本当は、以前の記事にもあるように、1室です。ああ、恥ずかしい。でも書いていることは嘘ではないので、「よく読み返してから投稿しろよ」という自戒も込めて、このままにしておきます。(追記終わり)
アセンダントのルーラーが位置するハウスは「あなたがなにを目的として生まれてきたのか」をあらわすらしい。わたしの場合、2室。「所有するために生まれてきたの」だ。『西洋占星術』(松村潔)ではもっと露骨に、「2ハウスは自己保存衝動であり、自分を物質的に豊かにすることで守り、人に分け与えることはありません。この人は(中略)現世でたくさんお金をもうけて豊かに生きることを目的に生まれてきたわけです」なんて書かれている。身も蓋もなくて笑ってしまう。
わたしも水瓶座の端くれなんだから、もっと精神性のこう、高みを目指すような……。いやわかってる。お金はもうけていない(むしろ出ていくばかりだ)にせよ、所有するのが大好き、所有マニアだということは否定できない。それがモノでも、情報でも。持って帰るという行為が好きだ。わたしの部屋に、わたしがまだ読んでいない本があること自体がにやにやするほどうれしい。本には本固有の領土がある。わたしの王国に、ぽっと火が点るようにして辺境が生まれる。
いくらかAmazon Kindleで購入した本もあるが、やはり紙のほうがいい。それは、別にわたしが装丁や紙質にこだわるタイプだからではなく(稀覯本や革綴じに関心があるほうではない。このへんは身体感覚、美的共感の鈍さがあらわれている)、文章の「アドレス」を覚えやすいからだ。あのフレーズは、分量にしてあの本の真ん中らへん、左上あたりに書かれていたような気がする、であるとか。両手で持っている紙の厚さ、目の位置、そういうものを手がかりにして探すことが多いので、電子書籍だと情報量が少なすぎるのだ。
記憶力はけしてよいほうではない。だけど、お気に入りの文章は飽きずに何度も反芻するほうだ。貪食のよろこび。「繰り返すとよろこぶ細胞」(青木陵子)というドローイング作品を見たとき、作品よりもむしろこのタイトルのほうが印象に残った。繰り返しは、うれしい。
単純な反復は、どこか不吉なイメージもはらんでいる。「空洞です」で通底音のように繰り返されるギターフレーズ。落ち続ける点滴。"たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔"。「オスティナート」という言葉を見つけた。執拗に繰り返されるリズムパターン、和声、音程。繰り返しは、繰り返しの中に生命を見つける。わたしはわたしの中に、思いのままにならない領域があることを知る。反復は、いつの間にかわたし自身を這い出て、不気味に振る舞うようになる。清潔強迫、ある種の摂食障害。わたしたちは不条理で困難な社会に対応するために、一定の規則を持ち込み、了解可能となるように制度化する。けれども、その新たな制度がまるで産み落とした赤子のように勝手に動き出し、わたしを乗り越え、わたしに命令するようになる。
わたしの本たちは、わたしが所有しているのだろうか。本を読むと、本が欲しくなる。週末に図書館に行く、パターン。本屋を見つけると入ってしまい、一冊くらいは買ってしまう、パターン。部屋は本を胚胎する。本は部屋で繁殖している。ときどき、本当にいつ買ったか覚えていない本が見つかることがある。それはまるで地球に落っこちてきたエイリアンみたいで、やっぱりわたしには、かわいい。