わたしに踏まれた星とわたしが踏まれた星

ホロスコープ1年生。名前は「蜷(にな)」です。

キロンちゃん、あるいはケイロン師

蟹座、3ハウス、キロンちゃん。

ここの解釈がとても難しくて、対面診断とかワークショップとかに参加して他人の意見を聞いてみたいな〜と感じるところ。このメモでも最終的な結論は出ない。土星オポジションによる抑制が効いているのはもちろん、海王星オポジションによる脱構造化、非論理化も影響しているのかもしれない。水瓶座山羊座サイン強めの人間にとって、海王星で融かされちゃうとマジわけわかんないエリアになる。とりあえず、現時点のうろうろとした歩みを書き留めるものとして。

初等教育での傷。自分の知性や考え方に対する不信感。部分的には当たっている。親しくない他者に対して、意見を表明することをためらう。間違っていたら?わたしが常識を知らないだけ?頭が悪いと思われたらどうしよう?これらの葛藤が口をつぐませ、「まあいいか、わたしだけがわかっていれば」にたどり着く。

でも「わたしだけがわかっていれば」に現れているように、意外と自分自身の中では確固たる考え方になっていることも多いのだ。あとで、他者の会話を盗み聞いて、「よしよし、やっぱり間違っていなかったな」と答え合わせをして、自己満足している。

初等教育での傷のほうが難問だ。いわゆる幼児教育の教室に通っていたことくらいだろうか。このため、学習的には「早熟」だった。一方、現在に輪をかけたような人見知りで、仲の良い子が誘ってくれるまでロッカーの前で膝を抱えて待っている、という根暗な幼年時代を過ごした。小学校低学年の頃は、休み時間に、同じ学校に通っていた1学年上の従姉妹によく遊んでもらっていた。

優等生だが人見知りの強い少女。でも身内に対しては負けず嫌いと自己中心性を発揮する、典型的な内弁慶タイプだった。長女だが、父も母も「お姉ちゃんでしょ」と育てるタイプではなかった。隣近所のコミュニティーの中でも最年長であり、数年長く生きているがゆえの知恵で年下の子どもたちを従えて、権力を掌中におさめていた。「長女は責任感が強くて〜」という言葉を聞くと、ちょっとだけ耳が痛い。妙な責任意識はそれでも勝手に育つものだが、少なくともこれを「抑圧」とか言うと、妹から白い目で見られそうだ。

蟹座、家族のイメージ。父からの虐待があったわけでも、母からの教育や、独立への強いプレッシャーがあったわけでもない。これからの介護という問題はあるだろう。でもそれは生育時のトラウマではなく、キロンの表象とは少しずれる気もする。

蟹座、2度のサビアンシンボルは、"広く平らな場所の上に吊るされた男"。タロットカードだとハングマンだ。人生の挫折と失敗。そこから欲や執着を手放し、幸福な自己犠牲の精神に至る。うーんうーん。とんちが出ないな……(デイリーポータルでよく見る表現。好き)

3室なのが解釈をさらに困難にしてるんだよなー。6室の健康問題なら、ダイエットやセルフネグレクトのことを指すとも考えられるし、8室なら無意識下のセックスへのコンプレックスがあると推測することも可能になるかもしれない。だけど、3室はいずれとも遠い。

泣いているキロンちゃん、赤ん坊キロンちゃん。そんなイメージをSNSでもよく見かけるから引っ張られていたけれど、そもそもの神話に立ち戻って、半人半馬の医師・教師として見るべきなのかもしれない。好色、粗野、粗暴とされる素因を受け継ぎながらも、賢者のごとく振る舞い、また尊敬され、しかしながらまるで自ら暴力を引き寄せるように斃れ、「聖性」である不老不死性を手放さなくてはいけなかった。だが、かえってその英雄的な行為が讃えられ、星座となった。両義性の中で、宙吊りにされているアイデンティティー。まるで神を求めながら神の愛にふさわしくないと葛藤し、救いから逃げるような態度。うーん、惹かれてしまうんだよなー。

ここまで考えていくと、「吊るされた男」のイメージと重なる。自らの罪(もしかしたら彼が為した罪ではないかもしれない。けれど彼が「負うべき」罪だ)ゆえに宙吊りにされ、処刑されるまでの、一時の間。羞恥や悔悟があっても、覆い隠したり、逃げ出したりすることもかなわない。運命に身を委ねるしかないと決心したとき、彼は「心の中で」解放される。

そういえば、萩尾望都さんが書かれていたと思うんだけど、「人との距離感が取れない。近づきすぎては拒絶されて傷つき、離れすぎては孤独感でつらくなる。永遠に満たされないものがあった」といった言葉。だけど人を求めずにはいられない、そういう感情がわたしの中にもあるのではないかと。

今日の考察はこれくらい。気になるテーマなので、またいつか掘り下げたい。